86歳になった父は、足腰の力もずいぶん弱くなり、ときには転倒することもあります。
以前に比べてできないことも増え、娘としては心配が尽きません。
けれど、一昨日、姪の四十九日の法要で、私はそんな父の姿とはまた違う一面に触れることになりました。
自分自身も深い悲しみの中にいながら、家族を思い、相手の悲しみを受け止めようとする父。
その姿に、父という人の大きな愛情と強さをあらためて感じたのでした。
深い悲しみを受け止める、父の大きさと優しさ
一昨日、姪の四十九日の法要がありました。
法要の後は親族でお寿司を囲み、あの子の思い出話をしながら穏やかな時間を過ごしました。
姪は高校卒業後に上京し、専門学校を出てからは東京で働いていました。
帰省できるのはお正月やゴールデンウィークくらい。
だから両親にとって、孫に会える時間は本当に楽しみなものだったと思います。

食事を終え、帰ろうとしたときでした。
父が親戚みんなの前で深々と頭を下げました。
そして、「私に力がないばかりに、こんなことになってしまって申し訳ない」そう言ったのです。
姪の死は誰の責任でもありません。
そんなことは父自身が一番分かっているはずです。
それでも、その言葉が口をついて出たのでしょう。
その姿を見たとき、私は父の悲しみの深さを知りました。
孫を亡くした祖父としての悲しみ。
そして何より、最愛の娘を失った息子夫婦を思う親としての悲しみ。
父はずっと、兄夫婦の力になろうとしていました。
自分も苦しいはずなのに。
自分も大切な孫を失っているのに。
それでも前を向き、家族を支えようとしていました。
そんな86歳になった父の姿に、私は胸を打たれました。
私は昔から父を尊敬していましたが、この日はあらためて、「すごい人だな」と思いました。
優しい人はたくさんいます。
けれど、自分も深い悲しみの中にいながら、人の悲しみを受け止めようとする人はそう多くありません。
父の優しさや包容力、そして強さに触れ、これまで以上に父という人を尊敬する気持ちが深まりました。
姪がこの世を去ってから、兄夫婦が涙する姿を見るたびに、胸が締めつけられます。
最愛の娘を失ったのですから、その悲しみは計り知れません。
どんな言葉をかけても足りないような気がしてしまいます。
だからこそ、せめて悲しみを分かち合いながら、一緒に歩いていけたらと思うのです。
姪には、これから叶えたかった夢もたくさんあったでしょう。
見たかった景色もあったでしょう。
そう思うと切なくなります。
それでも、私たちがあの子を忘れずにいること。
そして、それぞれの場所で精一杯生きていくこと。
それが、あの子への何よりの供養になるのかもしれません。
四十九日の日、私は姪を偲びながら、父の大きな愛情にも触れたのでした。


コメント
ムッちゃん。
おはようございます。
姪っ子さんが皆さんを
見守ってくれてると信じて
頑張りましょう。
れんくんさん。
いつも優しいお言葉をありがとうございます。
感謝。
私も、甥っ子の一人が、二十代の若さで亡くなりました。
若いくして亡くなられるのは、辛いものですね。
子育てヒロシさん。
メッセージありがとうございます。
この出来事を通して、少しでも成長できるよう努力していきたいと思います。
甥っ子さんのご冥福を心からお祈りいたします。