昔からの知人に、岡田さん(仮名)という女性がいました。
同居するお姑さんの介護をしていて、その大変さが、ふとした会話の端々から伝わってくることがありました。
顔を合わせると、ときどき「最近どう?」「大丈夫?」と声をかけていた私。
ある日、岡田さんのほうから「ちょっと聞いてほしい」と話しかけられました。
そのときの言葉を、私は今でも忘れることができません。
「ようやくデイサービスに行けるようになったのに」
「病気で寝たきりになったけど、ようやくデイサービスに行けるまでにしたのよ」
岡田さんのお姑さんは、ある病気をきっかけに、一時は寝たきりの状態になっていました。
そこから岡田さんは、日々の介護に取り組み、少しずつ状態を整えていったのです。
そして、ようやくデイサービスに通えるところまでたどり着きました。
ところが、ある日、思いもよらない事故が起こります。
デイサービスの利用中に思わぬ事故があり、お姑さんが怪我をしてしまったのです。
せっかく通えるようになったデイサービス。
それなのに、再び入院することになってしまったのです。
「母は、自分でまともに座ることができない状態なのよ。考えられない対応でしょう? ひどすぎる」
岡田さんの言葉から、怒りと悔しさが伝わってきました。
事故のあと、施設側の人が謝罪に訪れたそうです。
けれど、そのときの説明は「医療費は保険で負担するので安心してください」というものだったといいます。
岡田さんが求めていたのは、医療費の負担についての説明ではなかったのでしょう。
「バカにしないでほしいわ。あたしは死ぬまで忘れない」
そう言って涙を流した岡田さんは、続けて、こう叫びました。
「母は私の作品なの!」

「私の作品」に込められたもの
その言葉を聞いたとき、私はハッとしました。
どこか背筋が伸びるような、息を呑むような独特の圧を感じました。
岡田さんは、長年ヘルパーとして働いてきた、介護のプロでした。
仕事ができると評判の人でもありました。
私は、彼女がどんな思いでお姑さんの介護を続けてきたのか、その一端を知っていました。
寝たきりになった人が、再びデイサービスに通えるようになる。
その変化は、ただ時間が経てば自然に起こるものではありません。
日々の暮らしを整え、できることを見極め、本人の状態に合わせながら、一つひとつ積み重ねてきたものがあったはずです。
介護の専門職として身につけてきた知識や技術。
そして、家族だからこそ注げる思い。
その両方を持つ岡田さんにとって、お姑さんが再び外へ出られるようになったことは、特別な意味を持つ出来事だったのだと思います。
だからこそ、「私の作品」という言葉が出てきたのでしょう。
もちろん、人は決して誰かの所有物や作品ではない。
頭ではそう分かっていても、あんなふうに叫ばずにはいられないほど、彼女は自分の生活やプライドの全てを削ってお姑さんに注ぎ込んできたのかもしれません。
けれど、この言葉から私が感じたのは、お姑さんを自分の思いどおりにしたいという気持ちではなく、一人の人が再び生活を取り戻していくまでに注いできた、途方もない時間と情熱でした。
それを知っているからこそ、事故によって再び入院することになった悔しさは、簡単に言葉にできるものではなかったと思うのです。
介護のプロとして、家族として
その後も、岡田さんと話す機会が何度かありました。
関わるなかで、介護に一生懸命になるあまり、自分とお母さんとの境界線が少し見えにくくなっているところがあるのだと感じました。
でも、家族だからこそ必死になり、気づけば自分の思いが強くなってしまうことはあると思います。
特に、プロとしての知識や経験があるからこそ、「自分がしっかり支えなければ」「ここまで積み上げてきたのに」という気持ちが一層強くなってしまうのかもしれません。
その思いを否定せず丸ごと受け止めながら、私はただ知人として、同じように介護に関わってきた者として、彼女の話に耳を傾け続けました。
岡田さんが大切にしてきた情熱を尊重しながら、ご本人にとっても岡田さんにとっても、少しでも心地よい時間が増えていくように…。
彼女の流した涙と「私の作品」という言葉を思い出すたび、私は介護に向き合う家族の葛藤の深さと、寄り添うことの難しさを改めて胸に刻んでいます。
※このエピソードは、プライバシー保護のため、個人や団体の特定を避けるよう、一部の状況や描写を再構成・調整して掲載しています。


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