
言葉を交わせない母に、私ができたこと
術後の合併症で肺に水がたまり、酸素を吸いながらベッドで過ごすことになった母。
呼吸をするのも苦しそうで、言葉を発することさえ難しい状態でした。
それまで自分の足で歩き、いつもの暮らしを送っていた母が、目の前で身動きもままならなくなっている。
そんな姿を見ていると、悲しくて、つらくて。
何かしてあげたいと思っても、できることは限られていました。
そのとき、私にできたことの一つが、母の足に触れることでした。
山歩きの途中で心に響いた言葉
私がリフレクソロジーを知ったのは、山歩きをしていたときのことです。
ふと、「リフレクソロジー」という言葉がどこからともなくおりてきたのです。
誰かの声がしたというよりは、頭の中に響いた感じです。
それまで、リフレクソロジーがどんなものなのかさえ、よく知りませんでした。
なのに、なぜかその言葉が心に残り、やがて学び始めることになったのです。
学んでいるうちに、いつかこれを生かしてやってみたいと思うようになったことがあるんです。
それが、緩和ケア病棟で過ごす方や、在宅で終末期を迎え、長い時間同じ姿勢で過ごして辛そうな方のもとを訪ね、リフレクソロジーをしてあげたい。
ケアマネ時代の経験から、足裏からのアプローチはとてもいい時間になるだろうなと思いました。
病気そのものを治すことはできなくても、足に触れることで、少しでも心地よい時間を過ごしてもらえたら。
そんな思いを抱いていたのです。
けれど、心で思い描いていたイメージ通りのことが、まさか自分の母に、病院のベッドの上で施術をすることになるとは、想像もしていませんでした。
母の足に触れながら
私は毎日病院に通い、言葉を交わすことも難しい母の足を、そっと包むように触れました。
足裏の様子を確かめながら、一つひとつ丁寧に手を動かしていきます。
母の身体に負担をかけないよう、そのときの状態を気にかけながら。
私にとってリフレクソロジーは、単なる施術ではありません。
こわばった身体をほぐすだけでなく、手のひらから伝わるぬくもりを通して、言葉にならない孤独や痛みにも寄り添っていくもの。
触れることで、張りつめていた心が少しでもほどけ、ぬくもりに包まれるような時間になれば。
そんな思いを大切にしています。
本当は、こんな形で母にリフレクソロジーをする日が来ることなど、望んでいませんでした。
元気なときに、気持ちよさそうにしている母の顔を見ながら、施術してあげたかった。
苦しそうに横たわる母の姿を前に、そんな思いも込み上げてきます。
それでも、目の前の母に触れながら、心の中で語りかけていました。
「お母さん、今日までよく頑張ってきたね」
返事はありません…。
悲しさも、切なさも消えるわけではないけれど、母の足に触れている間は、私自身の心も支えてくれていたように思います。
学んだことが、身近な人の喜びに
今では、家族だけでなく、友人や知り合いから頼まれて、リフレクソロジーをすることもあります。
施術のあとに「足が軽くなった感じがする」「よく眠れた気がする」と話してくれる人もいます。
そんな声を聞くと、学んできたことが身近な人たち暮らしの中で役立っているのだと、嬉しくなります。
山歩きの途中で、ふいに心に響いた「リフレクソロジー」という言葉。
そのご縁から学び始め、いつか誰かのためにと心に描いていたことが、思いもよらない形で母との時間につながりました。
私は退職してから、これから先のことをあれこれと決めず、心に留まったことや、ご縁があって目の前にやってきたことには、つべこべ言わずにとりあえずやってみようと決めています。
リフレクソロジーとの出会いも、そんなふうに歩いてきた先にあった出来事の一つです。
目の前の人の身体や心に思いを寄せながら、足裏に触れることで喜んでもらえて、私自身の気持ちまでほっこりする。
こんな素晴らしいことってないと思ってます。
また母と、何気ないおしゃべりを楽しみながら、ゆっくり足に触れられる日が来ますように。
そんな願いを胸に、今は母との時間を大切にしたいと思います。


コメント